2018年04月の霊想



   復活にある希望(4月1日)


イースター(復活祭)はイエス・キリストの復活を記念して祝う 日です。イエス・キリストが本当に復活されたという根拠を聖書の中に見ることができます。
 
 ①イエス自らが、十字架につけられた後、3日目によみがえると預言された。
 ②4つの福音書が、イエスの十字架、死、3日目の復活、そして墓がからであったことについて語っている。
 ③御使いも、女たちにイエスがよみがえられたことを告げた。
 ④イエスは復活された後、40日間、弟子たちに姿を現された。
 
  イエス・キリストの復活の出来事は、多くの人に奇跡を起こしてきました。その中の一人に、ルー・ウォーレスがいます。
  彼は、アメリカの南北戦争時、北軍将軍でキリスト教に敵対しており、数年間、キリスト教を抹殺するための本を書くことに没頭しました。しかし彼の心に、十字架上でのイエス・キリストの祈りが響き、復活したイエスに出会った弟子たちが大胆に福音を伝える姿を知り、イエス・キリストを証しするために本を書き始めました。
 それが不朽の名作『ベン・ハー』です。新しく造り変えられた彼は主に導かれ、神様のために働く人生へと舵を切り替えたのです。
  今日、あなたの人生にも、復活のイエス・キリストが奇跡を起こしてくださいます。



 捨てる勇気(4月8日)


 彫刻家が、大理石でそれは見事なライオンを造りました。見た人が感心し「どうしたら、こんな素晴らしい作品を彫り出すことができるのですか?」と尋ねると、彫刻家は答えました。「それは簡単です。ライオン以外のものを捨てるのです」。プロは言うことが違います。
 人生も同じです。「いかに集めるか」の前に「何を捨てるか」を考えることが、人生を芸術作品にする第一歩です。
 「革新の鍵は捨てることにある」と言ったのはピーター・ドラッカーです。逆に考えれば「革新を妨げるものは捨てられない習慣」と言うことができるでしょう。もしあなたが「最近、自分は成長していないな」とお感じになっているとしたら、「私は、今、何を捨てる必要があるのだろうか」と考える機会を神様が与えておられるのです。捨てる勇気が、あなたを一歩前に前進させます。
 捨ててみると、なぜ自分はこんなものにずっとしがみついていたのだろう、と不思議に思うものです。捨てれば捨てるほど、物事の本質が見えてきます。
 あなたが捨てるものは何ですか?
「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つ だけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。」(ルカ10・42)




 『苦歴』という宝(4月15日)

 渡辺和子先生は、著書『どんな人も笑顔になれる』で「履歴書を書かされる時、必ずと言っていいほど学歴と職歴が要求されます。しかしながら、もっと大切なのは、書くに書けない『苦歴』と言ってもいいのではないでしょうか。」と記しておられます。人生を語る時に大切なことは、神様が備えた試練にあなたはどう対応したか、ということです。これほどの、あなたならではの歴史はありません。
 試練に対し、聖書は次の三つを約束しています。
 
①耐えられない試練は与えない。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。 神は真実である。あなたがたを耐えられないような試 錬に会わせることはない。」(Ⅰコリント10・13)
 
②どのような試練も、神様のご計画から見る時に解決さ れている。
「試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道 も備えて下さるのである。」(Ⅰコリント10・13)
 
③なぜこのような苦しみ、困難があるのか、と私たちは 問うが、すべては益になる(宝に変わる)。
「万事を益となるようにして下さることを、わたしたち は知っている。」(ローマ8・28)
 
 今週も、三つの約束をしっかり心に留め、あなたならではの歴史を刻んでいきましょう。




 信じる強さ(4月22日)

 ガリレオ・ガリレイは、17世紀初頭、世界で初めて望遠鏡で天体を観測しました。そして彼が出した答えは、16世紀にコペルニクスが『天球回転論』で主張した地動説が正しい、ということでした。
 それによってガリレオは捕らえられ、宗教裁判にかけられました。地動説を捨てるように迫られた時、「それでも地球は動いている」と言い、自身の信念を捨てなかった、という逸話は有名です。
 イエス・キリストの弟子たちも信仰に立ち、迫害を恐れずに殉教していった人が多くいます。
 ゲッセマネの園でイエスが捕えられた時、弟子たちは全員その場から逃げてしまいました。私たちも弟子たちを責めたり、笑ったりすることはできません。いざとなった時、果たして私たちがどのような態度と行動を取るかは、その時にならなければわからないからです。
 しかし、恐れて逃げた弟子たちは、その後、聖霊を受けて大胆に福音を語り出しました。それは、復活し、今も生き続けているイエス・キリストに出会ったからです。
 私たちも、日々、生活のただ中で復活のイエス・キリストに出会い、信仰に生きる強さを身につけていきたいものです。




 包み込む生き方(4月29日)

 「不安も安心のうち」と語ったところ、大きな反響をいただきました。真の安心とは、恐れがまったくない状態のことではありません。そのような安心は、不安がちょっと生まれただけで、いとも簡単になくなります。
 キリストは言いました。「…わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」(ヨハネ14・27)
 「不安があっても大丈夫。不安も安心のうち」と不安を受け入れる心が、真の平安を生み出します。
 同じように「不幸も幸福のうち」「問題も最善のうち」「絶望も希望のうち」「病気も健康のうち(実際に一病息災と言います)」と、一見、相反するものをも神の視点で包み込むと、目の前の現実が違って見えてきます。
 ある方が「不安の先取りも、希望の先取りのうちですか?」と質問されました。あなたはどう答えられますか。私はこう答えました。「その通りです。二つは相対するものではなく、一つです。不安の先取りが上手な人は、実は希望の先取りも上手です」。不安の先取りとは慎重さの証しです。慎重に有事に備えるからこそ、安心して希望の先取りをすることができるのです。