幸せに向けて (1月8日) 年の初め、誰もが「幸せな一年であるように」と祈ります。 昨年秋に来日され、強い印象を与えたブータン国王ご夫妻は、三月の震災など大きな出来事があったただ中の日本だけに、「幸せとは何か」を考える、良き機会を私たちにくださいました。 幸福は千差万別で、物差しでは測りにくいものです。衣食足りて健康であっても「退屈」という牢獄に置かれていたら、幸せではありません。また、明日の命もわからぬ過酷な収容所でも希望を失わず、その経験を宝にしたビクトー・フランクルのように、未来に目を向け、喜びの先取りをして生きることもできます。 日本もブータンにならい、今年は、国民総生産(GNP)から国民総幸福量(GNH)に心を向けようとしています。 どのような局面にあっても豊かさを見いだすために、祈りつつ、今年の標語聖句を確実にご自分のものにしてまいりましょう。 わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこ から来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた 主から来る。 (詩篇121・1〜2) |
祝福を見出す眼 (1月15日) 祝福を見つけるための3つのアドバイス。 1.感謝を3つだけ探しましょう。 「私のどこに祝福が?」という感覚が去らない人は感謝が見えないのです。その人はまず3つ、感謝すべきことを挙げてみましょう。最初は3つだけでも感謝を探すのは大変ですが、身の回りの小さな出来事から探してみましょう。 2.失敗を交換してみたら、と考える。 「あなたの失敗と私の失敗を交換してみませんか?」と言われたとしましょう。自分のこれ以上ないというほどの過去の失敗を、他人のそれ程とは見えない失敗と交換できるとしたらどうでしょうか?その時、あなたの心に浮かぶ思いを注意深く観察してみましょう。 3.苦労がもたらしたものを考えてみる。 「あの苦労がなかったらどんなに良かっただろう」と人間は思うものです。しかし、その苦労を通して得たものは現在のあなたにとってかけがえのない財産となっていることが少なくありません。もしあの苦労をすることがなかったら今の私は何を失うだろうか、という面から考えてみましょう。苦難という包装紙に包まれて贈られた神の祝福が見えてくることでしょう。 今週も神様から贈られる祝福で満ちているのです。 |
目は口ほどにものを言い (1月22日) 剣術の達人は、刃を見ず、相手の目を見ます。 昔、殿様の任務で、侍が大金を携えて江戸に上ることになりました。侍は考えた末、途中の宿場で、荷物を無造作に庭に置きました。盗賊の目をくらますためです。 荷物を庭に出して一服していると、一人の男がやって来て、「実は私は街道きっての盗賊で、お侍さんが大金を運んでいると聞いて、長い間後をつけてきたのに、どこにお金があるのか見当もつきません。つきましては、あきらめて、もう追うのはやめることにします」と、侍に降参しました。侍はその言葉に安心し、その晩はゆっくり眠りました。 翌朝、何とその大金が消えていたのです。 盗賊が「あきらめて帰る」と言った瞬間、侍は、無意識にチラリとお金の在りかに目をやった、その一瞬を盗賊は見抜いていました。 「目は口ほどにものを言い」という表現があります。将棋の世界でも、対局中、駒を置いた瞬間、相手の目をチラリと伺う場面があります。その一瞬に相手の心の内を読み解こうとする壮絶な心理戦を垣間見ることがあります。 あなたが今、どのような状況にあっても、どこを見ているかがあなたの人生のすべてを決めるのです。 |
ていねいに生きる (1月29日) 徳川家を支えてきた柳生一族の家訓に次の言葉があります。 小兵は縁に気づかず 中兵は縁を活かせず 大兵は、袖すり合うも縁にする 奥深い言葉です。聖書は、「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」(Uペテロ3・8)と語ります。 一日、一週間、一年と、ぼんやりしているとすぐ過ぎてしまいます。しかも、そこにある縁(祝福)を取りこぼしていることにすら気づかずに終わってしまいます。まことにもったいないことです。 しかし、「小事に忠実な者は大事に忠実」(ルカ16・10)と、どんな出来事の中にも神様のご計画、意図、深い意味が隠されていることをいつも思い、祈りつつ、そのことに触れていくと、必ず、気づきが与えられ、人生の深みへと招待されていきます。 最初は面倒であり、投げ出したくなりますが、そこをまた祈り、聖霊の神が「大丈夫」とあなたのそばで応援している声に耳を傾けつつ、今週も小さな出来事の中に豊かな祝福を見いだし、味わい、周りの方々にお裾分けしていきましょう。 |
